『社会と健康』より、気になる個所を。
◆第6章 貧困・社会的排除・所得格差
・日本の相対的貧困率は上昇し続けている。
厚生労働省(2014)『平成25年国民生活基礎調査の概況』より
◆第6章 貧困・社会的排除・所得格差
・日本の相対的貧困率は上昇し続けている。
厚生労働省(2014)『平成25年国民生活基礎調査の概況』より
・ヨーロッパ諸国をはじめとする諸外国では、貧困を「社会的排除」という概念として捉えなおす動きが盛んである。この概念の貧困との大きな違いは、「社会的排除」は社会における制度や人間関係などから人々が徐々に排除されていくプロセスを前面に出しているということだ。また、貧困が「排除される側」の問題として捉えられやすいのに対し、「社会的排除」は排除する側の問題として捉えなおされている。
・「貧困」とは単に所得が低いということを意味するのではない。それは、社会参加や他者との交流、社会保障といった制度との接点、労働市場における地位など、さまざまな社会的な不利を内包する概念であるとのことである。(同書 137Pより)
・貧困は単に貧困層にとってネガティブな影響を与えるのみでなく、富裕層を含む社会全体の健康を悪化させるという「所得格差仮設」(Wilkinson)という考えが注目されている。
◆第8章 生活習慣の社会格差と健康
・ブルデューによる「文化資本」と「ハビトゥス」の理論。
文化資本とは「家庭環境や教育環境を通して各個人のうちに蓄積されたもろもろの知識・教養・技能・趣味・感性など」を差し、「経済資本」とともに人々の慣習行動を規定するということ。
・生活習慣は集団の中で形成され、特に身近で信頼する他者の影響を受けている。これはつまり、個人の行動変容を促すには、その個人に介入するだけでは効果的な行動変容は得られないということである。Sallisらは従来の行動心理学の限界点として、①介入効果が弱ないし中程度の効果に留まる、②これらの理論に基づいたプログラムを実施しても、参加率が必ずしも高くないこと、③プログラムの効果を長期間継続させることが難しいこと、を述べている。
集団全体を捉え、集団に対して行動変容を行なっていかなくてはならない。
生活習慣への介入には重層的な取り組みが必要となるが、これをSocial Ecological Modelという。個人レベル、集団レベル、コミュニティレベル、社会・政策レベルでの介入を組み合わせることが必要である。
・FrohlichらによるVulnerable Population Approach。ポピュレーションアプローチは健康格差を拡大させるという考えから、健康リスクの集積しやすい、社会的に不利な立場にある者への重点的な介入の必要性を訴えたものである。
・Social Immunization(社会的予防接種)。喫煙や肥満が個人のつながりや社会的ネットワークを通じて”感染”するのであれば、健康教育などを行なって”免疫”を獲得させようという考え方。
ここで一つ気づくが、社会の”つながり”は孤立化が進む日本でポジティブな文脈で語られることが多いが、上に述べるように健康にネガティブなインパクトを持つ生活習慣も感染させてしまうリスクがあるということを頭に止めておかなくてはならない。
◆第4章 幼少期の環境と健康
・子供時代の低SES(Social Economic Status)が虚血性心疾患、慢性閉塞性呼吸器疾患、胃がん、出血性脳卒中の死亡率と関連していることが報告されている。また、Currie and Hysonは、低体重で生まれた子供の教育歴、賃金、健康状態を調べ、低体重の影響がかなり長期にわたって持続し、その後の人生のSESが改善してもその影響をあまり受けないことを確認している。
この章を読みながら、MSFのホームページで見る難民キャンプやシリアに暮らす子供たちの姿を思い出していた。仮に現在の危機を乗り越えて、大人になったとしても、彼らの心身には胎児期、幼少期の低SESという環境が刻印されている。それが大人になり、上に書いたような疾病として潜在化してくる。そしてその負の連鎖は彼らの子供、そのまた子供へと続いていく。
シリア難民の子供たちに関する動画を見た。そこでは、難民問題がさらに児童結婚や児童労働などの問題へと連鎖しているという。”根こそぎ”にされた難民たちは十分な社会的基盤を持たない。そのため、貧困に陥りやすく、それが児童結婚や児童労働などの問題へと繋がっているという。それらの問題を抱え、多くのシリア難民の子供たちが、移住先の学校へと通わなくなっている。彼らは未来のシリアを支える宝である。そこで力を発揮するためには、子供時代の教育が必要だが、その教育が受けられておらず、シリアの未来が危ぶまれている。
◆第11章 社会関係と健康
・社会関係の機能的側面について考える際に大切なことは、肯定的な関係だけでなく、否定的な関係も概念化されなければならないということである(Krause)。それは例えば、批判、拒絶、競争、プライバシーの暴露、互酬性の欠如などで決定される他者との不快な接触、あるいは無効な支援、過度な支援などである。さらに、支援を受けることそのものにも心理的負担が生じる可能性があると記述されている。
◆まとめ
健康は、個人の中で完結するものではなく、健康を規定する要因として、教育や経済、都市環境、貧困、環境などの様々な背景要因が存在するということを学んだ。それを、健康の社会的決定要因(SDH)と言う。つまり、健康に対する社会的介入を行う際には、背景要因にアプローチするために他分野との分野横断型の連携が求められる。
ある健康問題を抱える個人に対面した時、その原因をすべて個人に帰するのは誤った判断である。例えば、「糖尿病になったのは、本人が自堕落だからだ」、などと。もしかしたら、その人は幼いころに親から十分な食事を与えられず、お菓子ばかりを与えられてきたのかもしれない。そのように、個人の背後に潜む、家族や、地域、そして社会の影響に思いを馳せることが必要である。
若月もまた、佐久の農民たちを見て、その背後にある生活の問題へと眼差しを向けた。ただ病気を治すだけではなく、農民の暮らす地域そのものをみなければならないと悟ったのである。
なお、SDHに関してWHOが発表している文章の邦訳がいくつかあるので、そのサイトURLを張っておく。時間のある時に読んでみたい。
http://www.who.int/kobe_centre/mediacentre/sdh/ja/
・「貧困」とは単に所得が低いということを意味するのではない。それは、社会参加や他者との交流、社会保障といった制度との接点、労働市場における地位など、さまざまな社会的な不利を内包する概念であるとのことである。(同書 137Pより)
・貧困は単に貧困層にとってネガティブな影響を与えるのみでなく、富裕層を含む社会全体の健康を悪化させるという「所得格差仮設」(Wilkinson)という考えが注目されている。
◆第8章 生活習慣の社会格差と健康
・ブルデューによる「文化資本」と「ハビトゥス」の理論。
文化資本とは「家庭環境や教育環境を通して各個人のうちに蓄積されたもろもろの知識・教養・技能・趣味・感性など」を差し、「経済資本」とともに人々の慣習行動を規定するということ。
・生活習慣は集団の中で形成され、特に身近で信頼する他者の影響を受けている。これはつまり、個人の行動変容を促すには、その個人に介入するだけでは効果的な行動変容は得られないということである。Sallisらは従来の行動心理学の限界点として、①介入効果が弱ないし中程度の効果に留まる、②これらの理論に基づいたプログラムを実施しても、参加率が必ずしも高くないこと、③プログラムの効果を長期間継続させることが難しいこと、を述べている。
集団全体を捉え、集団に対して行動変容を行なっていかなくてはならない。
生活習慣への介入には重層的な取り組みが必要となるが、これをSocial Ecological Modelという。個人レベル、集団レベル、コミュニティレベル、社会・政策レベルでの介入を組み合わせることが必要である。
・FrohlichらによるVulnerable Population Approach。ポピュレーションアプローチは健康格差を拡大させるという考えから、健康リスクの集積しやすい、社会的に不利な立場にある者への重点的な介入の必要性を訴えたものである。
・Social Immunization(社会的予防接種)。喫煙や肥満が個人のつながりや社会的ネットワークを通じて”感染”するのであれば、健康教育などを行なって”免疫”を獲得させようという考え方。
ここで一つ気づくが、社会の”つながり”は孤立化が進む日本でポジティブな文脈で語られることが多いが、上に述べるように健康にネガティブなインパクトを持つ生活習慣も感染させてしまうリスクがあるということを頭に止めておかなくてはならない。
◆第4章 幼少期の環境と健康
・子供時代の低SES(Social Economic Status)が虚血性心疾患、慢性閉塞性呼吸器疾患、胃がん、出血性脳卒中の死亡率と関連していることが報告されている。また、Currie and Hysonは、低体重で生まれた子供の教育歴、賃金、健康状態を調べ、低体重の影響がかなり長期にわたって持続し、その後の人生のSESが改善してもその影響をあまり受けないことを確認している。
この章を読みながら、MSFのホームページで見る難民キャンプやシリアに暮らす子供たちの姿を思い出していた。仮に現在の危機を乗り越えて、大人になったとしても、彼らの心身には胎児期、幼少期の低SESという環境が刻印されている。それが大人になり、上に書いたような疾病として潜在化してくる。そしてその負の連鎖は彼らの子供、そのまた子供へと続いていく。
シリア難民の子供たちに関する動画を見た。そこでは、難民問題がさらに児童結婚や児童労働などの問題へと連鎖しているという。”根こそぎ”にされた難民たちは十分な社会的基盤を持たない。そのため、貧困に陥りやすく、それが児童結婚や児童労働などの問題へと繋がっているという。それらの問題を抱え、多くのシリア難民の子供たちが、移住先の学校へと通わなくなっている。彼らは未来のシリアを支える宝である。そこで力を発揮するためには、子供時代の教育が必要だが、その教育が受けられておらず、シリアの未来が危ぶまれている。
◆第11章 社会関係と健康
・社会関係の機能的側面について考える際に大切なことは、肯定的な関係だけでなく、否定的な関係も概念化されなければならないということである(Krause)。それは例えば、批判、拒絶、競争、プライバシーの暴露、互酬性の欠如などで決定される他者との不快な接触、あるいは無効な支援、過度な支援などである。さらに、支援を受けることそのものにも心理的負担が生じる可能性があると記述されている。
◆まとめ
健康は、個人の中で完結するものではなく、健康を規定する要因として、教育や経済、都市環境、貧困、環境などの様々な背景要因が存在するということを学んだ。それを、健康の社会的決定要因(SDH)と言う。つまり、健康に対する社会的介入を行う際には、背景要因にアプローチするために他分野との分野横断型の連携が求められる。
ある健康問題を抱える個人に対面した時、その原因をすべて個人に帰するのは誤った判断である。例えば、「糖尿病になったのは、本人が自堕落だからだ」、などと。もしかしたら、その人は幼いころに親から十分な食事を与えられず、お菓子ばかりを与えられてきたのかもしれない。そのように、個人の背後に潜む、家族や、地域、そして社会の影響に思いを馳せることが必要である。
若月もまた、佐久の農民たちを見て、その背後にある生活の問題へと眼差しを向けた。ただ病気を治すだけではなく、農民の暮らす地域そのものをみなければならないと悟ったのである。
なお、SDHに関してWHOが発表している文章の邦訳がいくつかあるので、そのサイトURLを張っておく。時間のある時に読んでみたい。
http://www.who.int/kobe_centre/mediacentre/sdh/ja/